《No.107》篆書を書くということ

今年の梅雨は、梅雨らしい梅雨ですね。
今日の朝は、雨音で起こされました。

こんにちは。伊藤雲峰です。

先週は桑名のMuGicafeさんで書会をさせていただきました
常連の参加者の方が増えてきて、とてもうれしく思っています。

回数を重ねてくると
「書会で篆書を書いて何になるのか」
ということを考えるようになりました。

いろんな方とこのことを話すと、
「役に立つ・立たないと関係ないところで、一生懸命向き合う時間が貴重」
と話がまとまることが多く、

私もそういえば、6時間ほどぶっ通しで話したり書いたりすることがあって、
気がつけば時間が過ぎ去り、この没頭した時間が日ごろの疲れを吹き飛ばしてくれたんだと感じます。

他方で「篆書を書くことに意味があるのか」と言われると、現時点では何とも言えないというのが正直な感想です。
しかし、よく考えてみると、あとで振り返ったとき、「あの時の体験が生きた!」ということは結構ありませんでしたか。

私の基本的なスタンスは、《役に立ちそうか・立たなさそうか》という線引きで、ものを見ずに、
《面白そうか・そうでないか》で、やるかどうかを決めています。

また、みんなが《役に立つ・意味がある》と思うことを追体験しても、
その役立つことをもとに競い合いが始まり、結局一部の人しかその蜜を吸うことができないという事実を突きつけられます。

(役に立つこと・意味があることを否定しているわけではありませんので・・・)

今役に立つかどうかわからないこと、巡り合わせで楽しそうだから始めたことが、
人生の別の場面で≪なにかとつながるきっかけになるかも!≫というワクワク感を生み出してくれそうです。

書を評する言葉として「この書には≪書巻の気≫がある」というものがあります。
作品のなかに、その人が読んだ書籍や書簡で培われた教養が、書かれた書作品のなかに滲み出ている、というものです。

どんな本をどれだけ読めば≪書巻の気≫を養われるのか、はっきりしないのですが、
おそらく、本を読むことが楽しくて没頭して得た教養や知恵が、自然と≪書巻の気≫として養われるのでしょうね。

書会の作品評として、「この作品には《書巻の気》がありますね!」という日もそう遠くはなさそうです。

書会が没頭の場なので、私がどんなに仕事が忙しくても、精神的に疲れていても、元気になれるのだと思っています。
明日は、アルコ書会頑張りたいと思います!

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★終わりに★

今日の朝は篠突く雨で目を覚まし、ふと読みさしの『慈雨』(柚木裕子)を読んでいました。
警察を舞台にした男同士の人間関係が丁寧に書かれていて、小説の世界に入り込むことができました。
警察小説のような人情小説のような、いろんな要素を兼ね備えた小説です。夫婦愛、親子愛、上司部下の関係、同僚との太い絆、それらが心地よく融合されていて、
一見全く救いのない小説なのかと思いきや、随所で勇気づけられる場面があり、
最後は、登場人物が、おのおのの立場で覚悟を決め、前を向いて進んでいくことを表明して終わります。『慈雨』は、ちょうど今頃の季節のドラマなので、今が読み頃かもしれませんね。
それから、集英社文庫の松本大介さん(書店員)の解説がすばらしかったですね。
『夢十夜』を引き合いに出されていて、刺激を受けました。

こんな湿っぽい季節ですが、『慈雨』の人間模様を味わっていただければと思います。

それでは素敵な午後をお過ごしください。
伊藤雲峰でした。